kokaget の日記

17才直前に虹の橋を渡った愛犬まどか その思い出と近況を綴ります

あ…また

家事をしているとフット思い出す。

 

また私が泣いている…4歳か5歳か。 よく泣くようになった私がいる。

泣けるようになったのだ。

泣けば母が来てくれる。言葉で言う代わりに泣くことを覚えた。

年子の姉と私。その後で生まれた弟は一歳くらいか?

てんやわんやだった母が、どうしたの?  と心配してくれる。

「そうか  泣けば楽になるのかなぁ。。」

おぼろげにそんな風に感じ初めた頃だった。

 

2、3歳で無理をして良い子になろうとした私に

神さまはもう一度のチャンスを与えて下さったのだ。

きっと  そうだったと思いたい。

 

でも、私は聞いてしまったのだった。

「 どうしてたまえはこんなに泣くんだろうね。。」とつぶやく母に

「 泣けばいいと思っているんだから、放っておいたらいいんじゃない? 」

と叔母の声がした。

私がそれを聞いてしまったことは二人とも知らなかっただろう。

「 困ったときは泣けばいいのかなぁ…と思ったけど

     泣かないほうがいいのかな。。」

幼いなりにそう感じて、私はまた泣かない子になった。

母に負担をかけまいとした。

 

後年、子供の事で相談に乗っていただいた先生に

母親自身(私)の幼児期のことを ただ一度だけお話しする機会があった。

先生は深いため息をつかれた。

「そうでしたか。。それを聞いてしまったのですね…感じてしまったのですか…」

と、残念そうにおっしゃった。

 

私は母に愛されて育ったと思っている。

温かな思い出も数々ある。

ただ大切な時期に、残念なことが重なったのだと。

そう思っている。

感受性の強さと言うものは、その当人を深く傷つける。

残念ながら 私はそうだった。

 

母が亡くなってから9年経った。

その前後は本当に

クタクタになるほど母との関係を考えた。

考えて、思い出して、夢にまで小さな私が出てきた。

私にとって必要なことだったのだろう。

新盆の時に親戚のおばさんから聞かされた母の若い頃のこと。

初めて聞く話だった。

    あ…それはきっと私が2、3歳の頃だ。。

いろんなことの辻褄があってくる。

私は母の辛さを幼いなりに感じとり、良い子になって母を助けようとした。

そして感情にヴェールをかけた。

そうなのだ。自らそうしたのだ。

 

私はようやく、おぼろげだった幼年期をしっかりと感じとった。

それは私が新しくスタートする為の大切な土台になったと思う。