10歳の頃。
小学校の図書館で出会って以来、ずっと読み続けてきたのが
シリーズは次々と翻訳されて全部で10巻。
アンが中年になり、末の娘が大人の恋をするまで続いています。
私が社会人になっても、結婚して親になっても、赤毛のアンが好きなまま
とうとう高齢者と呼ばれるようになって久しい。
年に一度は全巻を (10冊 ) 読み通していましたね。
自分としては静かに深く? アンを愛していたつもりなのですが
家族にはバレバレだったようです。
息子が中学2年の時
学校から「 廃棄図書 」を貰ってきてくれました。
それが 講談社の村岡花子訳 赤毛のアンシリーズ のうちの4冊だったのです。
文庫本を読んでいる母親を見ていたのですね。
もう少し大きなサイズの本で、挿絵からして 今のとは違う
「 古いかほりの漂う 」雰囲気 の本でした。
一緒に 傷んでいた本をテープできれいに補修したことを
昨日の事のように覚えています。
それは息子からの初めての贈り物でした。
なぜ村岡花子訳にこだわるのか とお思いでしょうか?
それで育った身には、他の翻訳者のアンでは違和感があるのです。
微妙な言い回しが違うと どうにもスッキリしないのです。
欠けている あと6巻をなんとか同じシリーズで探せないものか。。と思いながらも
義父母の介護やら諸々のことで40代、50代は アッというまに過ぎて行きました。
ずっと後になって 「 神田の古書店街に行ったら探せるかな。。」と
何気なく息子に言ったところ
彼はアッサリと「 ネットで探したらどうかな 」と言うのです。
そうだ! その手があった! なんと頭の回転の鈍い私だったでしょう。
それから、とうの昔に廃版になった本を ネットオークションで
チエックするのですが 残り全部を見つけるのは大変です。
ところが ある日突然に 全10巻の出品があったのです。
う〜ん。。ウ〜ンと悩んだ末に 締め切り間際で とうとうポチッてしまいました。
我が家の本棚には不揃いの宝物と、きれいな10冊一揃いの 赤毛のアンシリーズ が
鎮座して 年に一度の「 読んでもらう日 」を待っています。
ちょっとおめかしして写真を。
人形はプリンスエドワード島に旅した記念に買い求めたもの。
ブラウスの柄が好みとは言えなかったので あとで着せ替えました(笑)
もう二十数年も前の事です。お顔もスカートも日焼けしています。
今は、本を読むのにも体力を要する年齢になってしまいました。
私は寝る前の楽しみに 少しずつ読みたいのです。
60歳をすぎてからは、 仰向けに寝たままで本が読める書見台? を使っていますが
それは留め具のバネが強くて ページをめくる毎に指の関節を痛めてしまいそうなので
近頃は一部分 太めのゴム紐を使って工夫しています。
さあ! いよいよ秋本番ですね。
畑仕事も終わりに近づきました。
今取りかかっている書の作品作りが終わったら
今度はお布団の中で アンに逢いに出かけましょう。